東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2651号 判決 1966年9月30日
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、左に附加する外原判決事実摘示と同一であるから、右記載をここに引用する(但し、原判決書六丁表一行目に「証人川合英夫」「羽柴栄一」と同二行目に「松村一成」「赤沢義男」とあるは夫々「証人河合英夫」、「羽芝栄一」及び「松村成一」「赤沢幾男」の誤記につき訂正する)。
被控訴代理人は「控訴人と訴外ジヤパンマシナリー株式会社との間において控訴人が主張する如き特約の存することは否認する。右特約が仮に存在するとしても信義則ないし公序良俗に反し無効であることは原審以来主張してきたとおりであるが、仮に右主張が容れられず前記特約が有効であるとしても、控訴人は右特約の存在をもつて被控訴人に対抗できない。」と陳述した。
立証(省略)
控訴代理人は、「控訴人は、従来、他と運送契約を締結するに際しては予め事故による責任につき申入れのあつた運送品の価額(時価)を保険価額として保険会社と損害保険契約を締結し、万一事故が発生した場合の損害は右保険金によつて填補され、控訴人は保険料を支払う以外損害に対し責任を負わない旨を常に特約し、爾後の取引においてもこれを踏襲するという免責約款に従つていたのであるが、本件運送契約においても訴外ジヤパンマシナリー株式会社と右同様の特約を結び、右特約に基き控訴人は安田火災海上保険株式会社との間で前記訴外会社より申出のあつた本件研磨機の時価である金四百万円を保険金額、保険金受取人を訴外会社として保険契約を締結したものである。従つて控訴人としては右の保険料を支払えば足り発生した損害に対しては賠償責任を負うものではないから、被控訴人が訴外会社に保険金を支払つても控訴人に対する損害賠償請求権を代位取得するいわれはない。仮に控訴人に損害賠償責任があり且つ本件研磨機の時価が四百万円を超えるものとしても本件研磨機のような外国製特殊高価品についてはその筋に関係のない控訴人においては訴外会社の申入れを信ずる外ないところ、訴外会社は控訴人に対し右研磨機の時価を四百万円である旨明告したのであるから、商法第五百七十八条の類推解釈により控訴人は明告された価額である四百万円以上の損害賠償の義務はない。仮に右主張が認められないとしても訴外会社が控訴人に対し本件研磨機の時価を四百万円と申入れ、控訴人はこれを了承して右と同額の保険を付したのであるから、これは債務不履行の場合の損害額を暗黙に前記金額と予定したものというべきである。然るところ本件事故により訴外会社の被つた損害に相当する保険金は控訴人の義務の限度において既に安田火災海上保険株式会社より訴外会社に対し支払われ損害が填補されているのであるから、控訴人はも早や訴外会社に対し何らの賠償義務を負うものではない。従つて被控訴人に対しても同様賠償責任はない。」と述べた。
立証(省略)
理由
一、被控訴人が火災海上に関する損害保険を業とする会社であり、控訴人がトラツク等による物品の陸上運送を業とする会社であること、控訴人は昭和三十八年四月十三日訴外ジヤパンマシナリー株式会社よりその所有にかかるイタリー、モララ社製研磨機一台を、大阪府河内市若江南六百十一番地控訴会社営業所から広島市川田鉄工株式会社までトラツクによる運送の委託を受け、控訴会社運転手が同月十六日これをトラツクで運搬中同日午後九時頃岡山県和気郡備前町香登地内の国道付近で過失によりトラツクを道路と国鉄路線間の深さ約三メートルの凹地に転落せしめ、よつて右研磨機を大破させたこと、及び、控訴人が本件研磨機の運送に際し訴外安田火災海上保険株式会社と保険金額四百万円の損害保険契約を締結したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第九号証、原審証人後藤誠次、同木本厚の各証言を綜合すると、訴外会社は控訴会社に対する本件運送委託後の同月十六日控訴会社には無断で被控訴会社と、自己を被保険者として本件研磨機につきその運送の際発生することのあるべき損害の填補のため一部保険として保険金額百万円の運送保険契約を締結したところ、前記事故により五百万円の価額の本件研磨機が八十三万五千円に下落し四百十六万五千円の損害を生じたとして、同年八月八日前記保険金額の範囲内で按分比例の割合によつて算出された保険金八十三万三千円が被控訴会社より訴外会社に支払われたことが認められる。
二、そこで被控訴人の控訴人に対する損害賠償請求権の有無について判断する。
(一) 成立に争いのない乙第一号証の一、二、原審証人河合英夫、同羽芝栄一、同荻原輝夫、同津田義夫、同木本厚(但し後記措信しない部分を除く)、同和智日出夫(同上)、同後藤誠次(同上)、原審及び当審証人松村成一の各証言並びに原審における控訴(被告)会社代表者尋問の結果を綜合すると、控訴会社はトラツクによる機械類の運搬を主たる目的とする運送会社であるが、運搬する機械類の価額が百万円以上の高額のものであるのに反し資本金は僅か二百万円であるため、運送中に事故が発生した場合には損壊した運送品の賠償能力に欠けるところから、控訴会社では運送の引受けにあたり特に遠隔地への運送の場合はそのすべてにつき荷主の申出た運送品の価額を保険価額及び保険金額として訴外安田火災海上保険株式会社と損害保険契約を締結することの承諾を荷主から得た上控訴会社が保険契約者となり荷主を保険金受取人として右安田火災と損害保険契約を締結し、運送途上で事故が発生した場合はその損害を右の保険金で以つて填補し、控訴会社においては荷主に対し賠償責任を負担しないこととしていたこと、控訴会社と訴外ジヤパンマシナリー株式会社との運送契約に関する取引は昭和三十七年頃から始められたが、これが運送契約にあたつてはいずれも前述と同趣旨で訴外会社の申出にかかる運送品の価額を保険価額及び保険金額として前記安田火災と損害保険契約を締結していたものであるところ、本件研磨機の運送を受託する際、控訴会社代表取締役津田茂と訴外会社大阪支店事務担当者木本厚との間で右研磨機の価額を木本の申出どおり四百万円と見積り、これを保険価額及び保険金額として損害保険契約を結ぶことに合意が成立し、右合意に基き控訴会社は前記安田火災と、訴外会社を保険金受取人、保険金額を四百万円とする損害保険契約を締結したこと、及び本件事故による損害に対し安田火災から訴外会社へ前記一、において認定の割合によつて計算された保険金三百三十三万二千円が支払われたこと、以上の事実を認めることができる。
右認定に反する原審証人木本厚、同和智日出夫、同後藤誠次の供述は前掲各証拠と対比してたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
右事実によれば、訴外ジヤパンマシナリー株式会社は運送品の価額を四百万円と申出で、これを保険価額及び保険金額として控訴人が締結する損害保険契約の利益に与かる旨の意思表示をしたものであることは明らかであるから、特に右申出価額が運送品の価額の一部であり全損の場合における控訴人に対する損害賠償請求権を留保する旨の約定がなされたことの認められない本件においては、たとえ損害賠償請求権の放棄が明示的になされなくとも(この放棄が明示的になされたとの前記証人松村成一の証言及び原審における控訴会社代表者の供述はいずれもたやすく措信できない)右訴外会社は、被控訴会社との保険契約締結前になした叙上の意思表示により、本件研磨機の運送に際し発生することのあるべき損害につき控訴人に対する一切の損害賠償請求権を予め放棄したものと認めざるを得ない。
(二) 而して保険者が保険金の支払により被保険者の第三者に対する権利を取得するのは、被保険者が第三者に対しその権利を有する場合であることは商法第六百六十二条の法理に照らし明らかなところであるから、前叙のとおり訴外会社が控訴人に対する損害賠償請求権を放棄している以上被控訴人においてこれが権利を代位により取得するに由なきところというべきである。
被控訴人は、訴外会社の右権利放棄を信義則ないし公序良俗違反であつて無効であるとか、被控訴人に対抗できないと主張するが、右はいずれも理由がなく採用の限りではない。
なお保険契約者が第三者に対する請求権を放棄する等その行為により保険者の利益のため代位が行なわれざるに至つた場合においては、保険者はその請求権より賠償を得べかりし限度において自己の填補義務を免がれるものとする立法例もあり、(フランス保険契約法第三十六条、ドイツ保険契約法第六十七条、スイス保険契約法第七十二条等参照)我が国の保険についても右の如く解し得るものとすれば保険者は保険金支払前ならばその金額を差引いて支払い、既に支払済みの場合は被保険者に対し右の限度で保険金の返還請求をなし得るものということとなるわけである。
よつて被控訴人の本訴請求は控訴人のその余の主張について判断を加えるまでもなく失当として棄却さるべきであるから、右と趣旨を異にする原判決は民事訴訟法第三百八十六条によりこれを取消し、被控訴人の本訴請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき同法第九十六条、第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。